前回の稽古でK先生より「攻めに気持ちが伝わってきた」との評価を受け、最近本で学んだことなどもあわせて少し考えました。
Following I was commented by K sensei that my process of attack (SEME) is getting better, I deliberated what is important for Kendo, referring to the books I read recently.
何をしなければいけないか、何をやってはいけないか。どういう剣道が良くて、何が悪いのか。どういう稽古をしなくてはいけないのか。正直これまでは、中心を取るとか、下がっちゃいけないとか、受けに回っちゃいけないとか、攻めが無いといけないとか、当てるだけじゃいけないとか、なんだか分からないけどそれがいい剣道なんだ、そうすれば立派に見える、なんていう漠然とした剣道観で稽古していました。
What kind of Kendo is admirable? What kind of practice is valuable? To be honest, I had a policy but that was quite vague image. Keep a shinai center, don't step back during fighting, have a process before an attack, or hit with a completion of KIKENTAI,....etc I knew that was the good kendo but I didn't know why.
「剣道の理念:剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」
"The concept of Kendo is to discipline the human character through the application of the principles of the Katana (sword)", according to the All Japan Kendo Federation.
今まで気にしていなかった「剣の理法」という言葉に大いに意味があったようです。つまり「刀剣による攻防の理法」。これを心がけることで生死を賭けた心の修行ができ、人間形成に繋がるというのです。竹刀を真剣に見立てるがゆえに出来る心の修行、例えば克己・平常心・敬愛などなどがあるというのです。自分の中でようやく剣道と人間形成が繋がりました。
I've just realized that "Katana (sword)" is the key word. Only by considering a shinai to be a sward, we could see a matter of life and death. Because we deliberate such a matter of life and death, we could discipline our spirit. Finally I have been able to associate Kendo with human character.
そもそも、剣道がよからぬ方向つまり心を無視した競技に走らぬよう制定された理念であるから、逆を考えると、努めなければならないのは生死を賭けた心の修行を伴った稽古、これを怠ってはいけないということ。
Originally, this concept was established to prevent Kendo from going sports match without such a matter of life and death. Again, all we have to do is practice with consideration of such crisis.
話は稽古の方法に戻りますが、試行錯誤の末なんとなく最近理解してきた攻めの重要性というものが、ここで明確になりました。つまり竹刀を刀とみなし、その恐怖に対し自己に打ち克ち、相手の心を動かした攻めで無ければ意味を成さない。打った打たれたは二の次で、相手の心を動かしたか否か。一度打ちに行ったら捨て切れているか。相手をハッとさせたか、ヒヤッとさせたか、ゾッとさせたか、自分はそうしなかったか。などなど・・・・。
Now, back to the topic of the keiko. As the result of my struggling in the recent keiko, I've realized the importance of process of attack (SEME). It is no use hitting an opponent without the SEME. We have to makes the opponent surprised, scared, or puzzled with proper SEME. Also, once we decide, we have to go at all the risk of our life.
本日の稽古でM先生が全く同じ内容のことをおっしゃっていました。「相手の刀が動いていないのに向かっていくのは自殺と同じ」
M sensei told us the same thing in the keiko today. It would be suicide if you went to an opponent although a sword is kept at your throat.
こんなことも分かっていなかったのかと恥ずかしい気にもなりますが、この”気づき”を大事にしたいです。おそらく先生からや本だけで見聞きしただけでは、「竹刀を真剣と思って・・・うーん。」としっくり来ずに終わってたと思います。むしろこれまでは、そんな理法に関する本など見たこともありませんでいたが・・・。ここ最近自分に何が足りないのが試行錯誤しながら稽古するうちに、心の動きの重要性を実感し、それがこんな形で剣道の理念を多少なりとも実感できるに至ったと思っています。
一方、稽古で体を動かすだけでなく勉強することの効用を痛感しています。因みに今は堀籠敬蔵範士の「剣道の法則(元は剣道時代に連載だったらしい)」を読んでいます。
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