2007年12月20日木曜日
稽古納め 12/19
というわけで、今日は今年最後の稽古となりました。
本日は、いつもの剣好きメンバー、H田先生、S村先生、W田さん、加えてローカル2名と稽古しました。自分の中ではかなり手ごたえのある攻めを見せることができ、一年を締めくくるには満足のいく稽古でした。
ところが・・・。
稽古後、S村先生のお宅で忘年会。そこで、S村先生より、「合わせに行くような稽古になっている」とのご指摘。
「合わせてる」、つまり後の先が中心で、先の攻めが欠けていると解釈しました。本人にそんなつもりはなく、むしろどんどん先をかけているつもりですが、これは単なる自己満足? これじゃまずいと反省しつつ、この自分の意思とのギャップについてもう少し研究してみます。
いやー、剣道は深い。今年は本当の剣道の世界に一歩踏み入れました。来年もこの調子で悩みながら、少しでも向上すべく精進します。
2007年12月17日月曜日
トーナメント
こちらは賞品の数々。有段の部の優勝者には胴も与えられます。でも、悲しいかな持ち回りなので半年間のみ有効です。
目を引いたのは、賞品となった金銀の楯。ユニークな絵柄は、事務局長のWさん自らお描きになったものです。
さて試合のほうですが、有段の部ではバンドンの主将であるNovanさんが順当ともいえる優勝。
男子無段の部は、ジャカルタ・バンドンの稽古熱心なメンバーが殆ど有段となっているため、半数はスラバヤからのメンバー。優勝、準優勝ともスラバヤメンバーとなりました。このコートの審判を努めましたが、目立ったのはまだ基本的な礼式について知らない選手が多く見られました。
よく見ると垂れネームには、「鮫竜」と書いてあります。聞くところでは、スラバヤの語源は「スロ(鮫)」と「ボヨ(鰐)」でスラバヤの市章になっているらしい。明らかに関係ありそうです。でも鰐でなく竜なのはなぜ?聞くの忘れました。
全員で写真撮影。なんとピンボケ。来週日本に帰国なので、一眼レフカメラを購入します。
この日もう一つのニュースは、また新たに日本人メンバーが加わったことです。Sさん五段。実はSさんとは東京にいた際、実業団剣道で交流があり稽古及び酒を飲み交わした間柄です。出身も福岡の隣の地区の高校。
さて、トーナメント後の稽古。スラバヤからのメンバーも大勢いる中、元立ちでインドネシア剣士を相手の稽古でした。時間も押していたので日本人との稽古ができず若干消化不足気味で面ととろうとしたところ、M先生より、最後に一本Sさんとお願いしてはとのこと。
Sさんとの稽古内容は反省点ばかりでした。概して攻めていると思っているものが全然効いてなく、相手の剣の中心があまり動いてなかったですね。結果、思い切りのいい打突もなし。
正直、初めての相手(正確には数年前一度だけ稽古していると思いますが)に対して打たれたくないという色気がありましたね・・・。これが攻めが効かなかった大きな理由ではなかったでしょうか。
前に剣道の本質、攻めの重要性について書きましたが、やはり「言うは易し、行なうは難き」。
2007年12月13日木曜日
剣道の理念 12/12の稽古
Following I was commented by K sensei that my process of attack (SEME) is getting better, I deliberated what is important for Kendo, referring to the books I read recently.
何をしなければいけないか、何をやってはいけないか。どういう剣道が良くて、何が悪いのか。どういう稽古をしなくてはいけないのか。正直これまでは、中心を取るとか、下がっちゃいけないとか、受けに回っちゃいけないとか、攻めが無いといけないとか、当てるだけじゃいけないとか、なんだか分からないけどそれがいい剣道なんだ、そうすれば立派に見える、なんていう漠然とした剣道観で稽古していました。
What kind of Kendo is admirable? What kind of practice is valuable? To be honest, I had a policy but that was quite vague image. Keep a shinai center, don't step back during fighting, have a process before an attack, or hit with a completion of KIKENTAI,....etc I knew that was the good kendo but I didn't know why.
「剣道の理念:剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」
"The concept of Kendo is to discipline the human character through the application of the principles of the Katana (sword)", according to the All Japan Kendo Federation.
今まで気にしていなかった「剣の理法」という言葉に大いに意味があったようです。つまり「刀剣による攻防の理法」。これを心がけることで生死を賭けた心の修行ができ、人間形成に繋がるというのです。竹刀を真剣に見立てるがゆえに出来る心の修行、例えば克己・平常心・敬愛などなどがあるというのです。自分の中でようやく剣道と人間形成が繋がりました。
I've just realized that "Katana (sword)" is the key word. Only by considering a shinai to be a sward, we could see a matter of life and death. Because we deliberate such a matter of life and death, we could discipline our spirit. Finally I have been able to associate Kendo with human character.
そもそも、剣道がよからぬ方向つまり心を無視した競技に走らぬよう制定された理念であるから、逆を考えると、努めなければならないのは生死を賭けた心の修行を伴った稽古、これを怠ってはいけないということ。
Originally, this concept was established to prevent Kendo from going sports match without such a matter of life and death. Again, all we have to do is practice with consideration of such crisis.
話は稽古の方法に戻りますが、試行錯誤の末なんとなく最近理解してきた攻めの重要性というものが、ここで明確になりました。つまり竹刀を刀とみなし、その恐怖に対し自己に打ち克ち、相手の心を動かした攻めで無ければ意味を成さない。打った打たれたは二の次で、相手の心を動かしたか否か。一度打ちに行ったら捨て切れているか。相手をハッとさせたか、ヒヤッとさせたか、ゾッとさせたか、自分はそうしなかったか。などなど・・・・。
Now, back to the topic of the keiko. As the result of my struggling in the recent keiko, I've realized the importance of process of attack (SEME). It is no use hitting an opponent without the SEME. We have to makes the opponent surprised, scared, or puzzled with proper SEME. Also, once we decide, we have to go at all the risk of our life.
本日の稽古でM先生が全く同じ内容のことをおっしゃっていました。「相手の刀が動いていないのに向かっていくのは自殺と同じ」
M sensei told us the same thing in the keiko today. It would be suicide if you went to an opponent although a sword is kept at your throat.
こんなことも分かっていなかったのかと恥ずかしい気にもなりますが、この”気づき”を大事にしたいです。おそらく先生からや本だけで見聞きしただけでは、「竹刀を真剣と思って・・・うーん。」としっくり来ずに終わってたと思います。むしろこれまでは、そんな理法に関する本など見たこともありませんでいたが・・・。ここ最近自分に何が足りないのが試行錯誤しながら稽古するうちに、心の動きの重要性を実感し、それがこんな形で剣道の理念を多少なりとも実感できるに至ったと思っています。
一方、稽古で体を動かすだけでなく勉強することの効用を痛感しています。因みに今は堀籠敬蔵範士の「剣道の法則(元は剣道時代に連載だったらしい)」を読んでいます。
昇級・昇段審査 in Jakarta
いつも稽古に参加している主要なローカルメンバーは、先日のバンコクでの審査で正式な弐段・参段を取得してますので、主な受審者は防具を着けていない初心者や日本人の小中学生でした。
人数もバンドンの際とはうって変わって少人数。全受験者で20名くらい。今回の審査員は七段3名、六段1名、5段2名の構成でした。
いつの審査会も、ほのかに感動させられるのが発表の瞬間です。
高段の審査ではないので落ちることはめったにありませんので、一喜一憂といっても「憂い」のほうはさほど見受けられません。そんな中、発表を聞いた瞬間の皆の喜び具合を見るのがちょっとした感動です。自分の審査も思い出します。
さて、審査会の後稽古をしました。K先生のところに稽古後にご挨拶に行ったところ、「以前、近かった間合いが改善され、遠い間合いからの攻めが見られるようになった。攻めにも気持ちが乗って、伝わるようになった。」と評価頂きました。まさにここ最近心がけていることが実を結んでいると素直に喜んでいます。「更に向上するためには、攻め合いの中で苦しくても絶対に下がらないようにすること」とアドバイス頂きました。
確かにK先生が来られた今年4月頃は、何の攻めのプロセスもなしにいきなり近間で早く当てることばかりに終始していました。
2007年12月11日火曜日
稽古12/5, 8
改めて、現在の稽古環境の良さを実感しています。一箇所の稽古場でこれだけ力のある先生方に囲まれるのは、日本でもそんなには無いことだと思います。先生方もいつかは日本に戻るでしょうし、自分自身もいつまでなのいるのか分かりませんが、この恵まれた時期にできるだけ稽古し、教わるべきものしっかり習得しておきたいと思うこの頃です。
さて、稽古のほうですが、「先」、「攻め」を常に意識しながら稽古するようにしています。
12/8の稽古では久しぶりにビデオ撮影を行いました。
フォームの問題ですが、どうも気になる点がでてきました。S先生との稽古を収録したビデオで気づいたことですが、踏み込み足について。S先生の場合、面打ちの際、常に打突の瞬間に足が地に着いています。一方私は、手が部位を捉えた後、一瞬遅れて足が着地する面打ちが基本です。
手足の一致が冴えを生むことは間違いないのですが、必ずしも全ての選手がピタッと一致するわけでは無く、むしろ写真等では高段者の先生でも、手が一瞬先に部位を捕らえている映像をみます。そういえば1月号の剣道時代では、大体大の神埼先生が、飛び込み面の場合は「手が一瞬先」、相面の場合は「手足一致」という理論を提示されていました。
もしや、私が飛び込み面スタイルで打ち込んでいっているところを、S先生は意識的に相面スタイルで打ち込んでいるのでしょうか?或いはそもそも全てのうちがそういうスタイルなのか?
フォームとはいえ、結果的には打ちの強さ、冴えに影響を及ぼしますので研究します。
いずれにしてもS先生によく打たれました。